ぼくの価値観
お久しぶりです。しがない京都の大学生です。
最近全く投稿をしておらず、やっと更新かと思えばまさかのワインレビューにあらず、なかなか思想強めのタイトルにさぞ困惑のことと思います。
今日は僕の価値観について書きたいと思います。(完全に自己満足の文章なので悪しからず。)
その前に簡単に今までの人生を振り返ります。
川崎生まれ横浜育ちの僕は一人っ子としてこの世に放たれました。
小さい頃はとても暴力的で、『一人っ子ここに極まれり』と言われ、世間様には大変迷惑をおかけしました。大反省でございます。
そんな僕も中学高校に入ると感情のコントロールも上手くなり、言ってはダメな事ややってはいけないことなど、曲がりなりにもだんだんとわかるようになっていきました。
勉強は昔から友達にライバルがいっぱいいて、負けたくないからずっと勉強していました。なので、気づけば周りは頭が良い人が多いです。恐ろしや。
大学から地元横浜とはバイバイして現在に至るまで一人暮らしを続けているわけですが、バイトして単位とってなんとか生きているという感じです。
そんな僕が一貫して思うことは、合理的とか贅沢とかクソ、ということです。
「...は?論理崩壊してない?」と思う方、その通りでございます。
だって合理性とか気にしてないですから!
最近自分のこういう社会不適合的な側面に気づいてからこの世は資本主義に溢れていて(当たり前だ)、街ゆく人がみんな金儲けのために踊らされ、踊らせているようにしか見えず、なんだかなあと思ってしまうことが多々あります。
こんなことを言ってしまうと友達が半分以上消えてしまいそうですが、ぶっちゃけ僕は自分のことしか基本興味なくて、他の人がどうしてようと自分に危害を加えない限りはほぼほぼ無関係だと思っていて、自分も他人のことには干渉しないように心がけています。
ただ、本当に仲の良い、信頼関係を持っている人には色々と甘えてしまったり、自分の考えを押し付けてしまったりとまだまだ未熟な僕ですが、それでもここまで関係が途絶えないということは親友なのかな、と思っています。キモいね、この文章。
あと、贅沢が嫌いなのは多分僕の育った環境にもよると思うんですけど、基本的に安く済ませることが好きで、いわゆるブランドものとか超美味しいご飯とか超高級ホテルとかはお金を払ってまで受けたいとは到底思えないです。もちろん興味はあるけど、別に一生関わることがなくても全く問題ないです。
あと外食とかなんちゃら代行とかその他、楽するための出費も嫌いです。たまにしちゃうけどね、本当にしんどい時とか。でも、基本的に健康体であるうちはなんでも自分でなんとか出来るものはなんとかしたいし、その場しのぎのモノを増やして、いつか使いそうと思って残していくのは嫌なんです。捨てるの、やっぱり辛いからね。
てかさ、楽してなんかしたい人って本当にそれ、やりたいの?って思っちゃう。
けど仕事とか初期費用で時間が取れずに、けどやりたい、楽しみたい、と思う人には本当に楽して何かできるシステムっていいことだと思うし、今後もなくならないだろうなとは思うけど、僕は何かを自分でやり遂げるための過程も楽しいから、そこは自分の限界を見極めて最低限の助けだけ借りて何かしたいと思う。(トイレとか電車ね、マジ尊敬。)
僕も初期費用ないけどキャンプしたいのでキャンプ用具借りて年末年始はキャンプします。本当に最近色んなビジネスがあって、便利すぎる世の中だと思います。
贅沢とはまた別なんですが、良いモノとか良い人とか良い店とかとの出会いは大切にしたいと思ってます。
正直今の世の中だったら、お金出せばそれ相応のサービスは受けれるし、そこは比例関係だとは思うのですが、良い意味でも悪い意味でもたまにそうじゃないことあったりしますよね。
僕は良い意味でのそういう出会いを求めていて、お金に左右されないことが共通項なのではないかと思います。
良い事って基本的にどんどん利益出せるように値段釣り上げてもやっていけると思う(いや、知らんけどな)のですが、上のような事してる人とかって、多分必要な分だけ稼げるようにやってて、それ以上は求めないのではないかと思うんです。
だけどこだわりがあるから質は落とさない、みたいな職人気質な一面があったりするのではないかと思う。
超素敵な人ですよね。多分贅沢もしないと思います。(マジで知らんけどな)
と、ここまで結構思想強めの話をしてきましたが、別に僕はその考え方はおかしいとか誰々が悪いとかそんなことは微塵も思っていなくて、
人それぞれの価値観があるし、それはそれで素晴らしいこと
だと思っています。
僕も今までの人生での出会いの連続がちょっとでも違っていたら贅沢を楽しめていたかもしれないし、合理的な判断でいっぱい儲けてお金いっぱい使えるようになっていたかもしれない。
けれども、僕はこういうひん曲がった性格なのでこれを変えようとは思わないし、むしろ極めていく勢いで生きていきたいと思います。
さて、ここまで文章は誤字以外修正せず書いてきたので当然誤った考えや表現があるとは思いますが、別にこれは本ではないのでそんなものはどうでも良い。言葉にすることに価値がある。(冷静に考えてやばい人だと思うけど、言語化することは良いことだよ)
では
P.S.
次は僕が高一の時から履いてるブーツのお話でも書こうかな